
下絵

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サイブログ
ヒント:隠し絵(探し絵)です。隠れている動物、見つかったでしょうか。(画像難易度:簡単タイプ)
人気だまし絵「うさぎとあひる」や「ルビンの壺(向かい合う2人の人間の横顔)」や、若い女性をイメージするとわかりやすいかもしれないです。
ようやくです!
標題やテーマなどについてはおいておきつつも、テンションが上がります。
牛イラストや絵のファンという人にも、おすすめです。
哲学的な絵(作品)を制作する画家といえば、だまし絵の絵画でも有名なルネ・マグリット(白紙委任状)の哲学性につながる人もいたり、絵と禅僧で画僧といえば人気の墨絵アーティスト(水墨画家)雪舟、○△□(まるさんかくしかく)の絵でおなじみ仙豪`梵(せんがいぎぼん)、宇宙と読み解く人もいるでしょうか。
前に触っている
アート哲学と作者からのつながり展開です。
熱いです。
十牛図に学ぶこと、考察は楽しい?
掛け軸や茶碗、デザイン手ぬぐいで持っている人もいるかもしれないですが、年賀状デザインの干支といい、牛イラストが大好きな人もいるでしょうか。むずかしいテーマも、漫画や絵本バージョンでいくと、絵やイラストと合わせてわかりやすくて良さそうです。
マイルドです。
十牛図とは?という人も、多いと思います。
十牛図の読み方は、じゅうぎゅうずです。ひらがなにすると、わかりやすいイメージが高まります。
十牛図といえば 相国寺や圓光寺レポートという人、こういう本を持っているよという人や(現代語訳 十牛図、玄侑宗久、水野聡)、(自己の現象学 ちくま学芸文庫、上田閑照、柳田聖山)、(禅の悟りにいたる十のプロセス、山田 無文 )etc.感想も色々と思います。
こういった人それぞれの目的やおすすめまとめが、面白かったりします。マインドフルネス系や考察哲学が好きという人も、要約は好きかもしれません。
十牛図もそうですが、悟りの過程を表現しているイメージです。
なぜ牛?何を伝えたい?と内容や問題点にハマり込んでいる人もいるかもしれないですが、そういったレビューも聞きたくなります。
深めにくわえさせて、
禅僧、画僧の日本人墨絵師アーティスト(水墨画家)雪舟やプチ論文はこちらで触ってます。
(▷注目する有名墨絵師は?【このアーティストがすごいと思う理由など】雪舟!)
十牛図の解説(説明)が興味深い
例えばでよければ簡単にしてみます。
定番の書き方としては、
現代人は、さまざまな問題に取り囲まれています。それが社会問題であれ、環境問題であれ、人間が引き起こす以上、私たちは自己を見つめ直す必要があるのかもしれません。中国の禅宗で成立した『十牛図』という文献がありますなど、表現は人それぞれと思いますが、こういう流れが多いでしょうか。
ヒントになるなら、うれしいです。
『十牛図』にはいくつかの種類があって、廓庵(十二世紀)や普明の手がけたものなどがあります。10枚の絵と漢文の解説によって構成され、禅の修業の過程を示しているので、惹きつけられます。
簡単ですが、このあたりのチェックポイントに、ほほがゆるみます。
十牛図の読み方の手がかり?
先ほどひらがなで触ってますが、読み方系はこちらです。絵巻物でも触ってますが、根強いです。
こうしてゆるめていくと、わかりやすいイメージもあります。
『十牛図』のなかでの牛は「真実の自己(仏性)」を、牧童は「真実の自己を探し求める人」をあらわすという印象でしょうか。
チェックポイントはここです。
十牛図の段階、かくあん
普明の『十牛図』は、次に説明する@からGまでの8段階で構成されていますが、廓庵の『十牛図』は、次の@からIの10段階に構成されています。
廓庵の読み方は、かくあんです。
この流れも、突き抜けてます。
尋牛、見牛、騎牛帰家、牛づくしの絵
簡単な一覧まとめではないですが、ここで一回出しておきます。
濃密です。
@:「尋牛」牧童が牛を探す。
A:「見跡」足跡という手がかりを見つける。
B:「見牛」牛を見つける。
C:「得牛」牛にようやく綱をかけるものの、野性味があり、暴れる。
D:「牧牛」牛を努力の末、飼いならす。
E:「騎牛帰家」おとなしくなった牛に乗って家に帰る。
F:「忘牛存人」家に着き、牛を忘れる。
G:「人牛倶忘」自分さえ忘れる。(ここが『十牛図』の一つの到達点)
H:「返本還源」本源に戻ってくる。
I:「入てん垂手」かつての牧童だった老人が若者と出会い、教化する。そして、若者は@の牧童になる。
にってんすいしゅ(入鄽垂手)です。
一般的にここまでが、十牛図のおおよその内容のイメージでしょうか。
ドキッとします。
解説でまとめられる?
奥深いです。
ここで例えば、解説や感想などを次のようにしてみます。
@牧童が、牛である「真実の自己」を探し求める決意をする。
A牛の足跡は経典とその教えを示す。
B「真実の自己」を見つける。
C「真実の自己」を手に入れようとし、努力を尽くす。
ここから一気に入れていきます。
D「真実の自己」との葛藤がなくなり、それを自己のものとしたことを示す。この段階では、自己が「真実の自己」に対して主体的。
E自己と「真実の自己」が一体となったことを示す。「真実の自己」が自己に対して主体的になり、「真実の自己」にとっての自己になる。
F「真実の自己」さえ忘れ、「真実の自己」と自己が本当の意味で一体になる。再び自己が、「真実の自己」を実現したというかたちで主体的になる。
G実現された「真実の自己」も捨て、「無我」となる。
H自然のみが現れる。この「自然」は、人の目から見た自然ではなく、「ありのままの自然」である。「私」ではない「真の自己」が現れる。
I「真の自己を実現した人」が日常生活の中で、人々を教化する。
興奮します。
役立つ手がかりになるでしょうか。
もうひとつ出しておくと、
牛を尋ねてとらわれない真実の自分(本当の自分)を探しにいって、手がかりの牛の足跡を見つけて、牛を少しだけ見れて、真実の自分をかいまみる..というような流れなどetc.
以上が、十牛図のおおよその内容と解説になるとしたら、チェックポイントや問題はここからという人もいると思います。
ゆるみます。
十牛図レビュー!感想
具体的にいきます。
ここで、人によってその解釈がさまざまであるとすれば、Cの「牛の野性味が何を表すか」ということかもしれません。
深めにくわえさせて、
『「真実の自己」を象徴する牛は、なぜ暴れたのか?』が気になるところです。
ピンポイントでピックアップしていくと、
『牛の野性味は「真実の自己」を象徴するのか、野性味は「真実の自己」を求める自己にあるという解釈か』など、盛り上がるところです。
力がこもります。
ここで一気に奥まで挿入していくと、
牧童は、「真実の自己を実現する前の人」であって、世俗の煩悩にまみれていて、自分のなかにある「仏性」の存在が感じられない人間ということなら、本来あるはずの仏性の存在を感じるには、仏性を覆い隠している煩悩を消す必要があります。
このあたりもテンションが上がります。
修業して、善業を行って、徳を積むなどの努力が必要であって、仏教でいうなら、八正道という厳しい道を通らなければならないかもしれません。
どこか似ているものを感じる人もいるでしょうか。
どきどきします。
引き寄せられるといえば、
牛を捕まえたときの牧童のとまどいには、仏性をとりまいている煩悩をいかに取り除くか、厳しい行をしなければならないのだろうか、という思いをあらわしているようにも思えるなど、じわじわきます。
抜け出せなくなります。
簡単にまとめておくと、
「真実の自己を実現する前の人」が「自己=煩悩」だとすれば、牛の野性味は、「自己(牧童)」が感じている「真実の自己」を獲得するための困難さをあらわしていると考えることもできるかもしれません。
ここはまた広げていきます。
私たちの「日常生活」は牧童から見た「自然」であって、経典を頼りに、その中で歩み生きることによって、「真実の自己(仏性)」を「自己」のなかから見つけだすことができると、『十牛図』は示しているのかもしれない、というイメージをもつ人は多いと思うなどこのあたりも、やみつきになります。
ほほがゆるみます。
細かくまとめておくとしたら
『十牛図』は、「自己」が「真実の自己」を求めるという修行の過程を示していて、その解釈は、人によって異なるところもありますが、さまざまな問題を引き起こしている現代人にとって、『十牛図』は、自己を見つめ直す手がかりとして、学ぶべき最適な文献の一つであるといえる人は多いのかもしれないなど、こういった流れになるでしょうか。
脈打ちます。
色々と役立つ内容なので、いつも助かります。
完璧にはできないタイプですが、日数おかずにがんばります!
今日も一日お付き合いいただき、ありがとうございます!!
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